袍【ほう】の上に袈裟をまとい、柄香炉【えごうろ】をささげもつ姿の、いわゆる太子一六歳孝養像【こうようぞう】の大型遺品である。明治二年、神仏分離に伴い興福寺勧修坊より松岡寺に移安され、現在は本堂左脇壇厨子内に安置されている。
檜材の寄木造で、玉眼を嵌入する。頭体は別材よりなり、頭部は両耳前で前後二材矧【はぎ】、体幹部は正面一材、背面左右二材、両肩外側部各一材を箱組み状に矧寄せる。袈裟左内袖、左前膊半ば先(袍を含み三材)、右前膊半ば先(袍袖を含み内、外各一材)、美豆良【みずら】、襟廻りを含む両肩上面、両手首、両裳裾脇、両沓先、鉤環等を各矧ぐ。像底には底板を貼る。表面は錆下地に白地彩色とし、肉身部は白肉色、袍は赤、袈裟の田相【でんそう】部は緑地に卍繋切金【まんじつなぎきりかね】文様を地文とし、白および金で霞を描き、条葉【じようよう】部は青地に金泥【きんでい】で唐草繋【からくさつなぎ】文、裏は緑地に金泥で蓮華唐草、横被【おうひ】の内区は緑地に輪宝団花【りんぼうだんか】文(輪郭盛上げ)、外区は緑地に牡丹唐草、裏には雲龍を描き表す。裳は赤。後補部は美豆良の右方分、持物、両沓先のみである。
胸、腹に十分な奥行をとった堂々たる体躯をもち、また著衣には動きのある衣文を刻み出して躰躯をよく引き締めており、総じてその作風には十三世紀前半の作例にみられる特徴がとどめられているが、箱組み式に材を矧寄せるその構造や、盛上げを多用する彩色文様の趣致を考慮すれば、製作年代は十三世紀後半に入るとみるのが妥当であろう。
太子孝養像遺品中の優作として注目され、当初の賦彩を鮮やかに残す保存状態の良好さも特筆される。