絵付は澱みのない軽妙な筆致や、巧みな画面構成など光琳画の一特色をよく示し、また乾山独特の書風になる画賛や底裏の銘により、一幅の詩画軸を思わせるような陶画を作り出している。
光琳の落款には「光琳」「寂明」「法橋光琳」の三形式が見られるが、ほぼ同形同寸で、縁文様は全て同一であり、当初から組物として製作されたと考えられる。
なおこれらを納める箱の蓋表には、「乾山角皿」「貳拾枚之内 拾枚」とあり、蓋裏には「梅・垂梅・椿・菊・柳燕・福祿壽・眞向福祿壽・竹雀・鷺・人物・竹寂明書入・竹賛四字・芦鶴・布袋・恵比寿・大黒」と画題を記すが、そのうち「垂梅・椿・柳燕(燕のみ)・福祿壽・鷺・人物・恵比寿」を抹消し、現存する10枚の画題を残している。これにより当初は20枚の組物として伝わっていたことが推察される。
本作品は、近年の落款や花押(壽型)の研究から、光琳が江戸より帰洛した宝永6年(1709)から、二条通丁字屋町へ移る正徳2年(1712)までの、光琳・乾山合作の大部分が行われていた鳴滝窯末期の製作と考えられている。
光琳・乾山合作の銹絵角皿組物として、まとまって保存されている唯一の作品であり、かつその代表作として重要である。