佐竹本【さたけぼん】は、上畳本と同じく藤原公任の三六人撰にもとづく歌仙絵で、現存諸作品中最も古く、かつ優れた作風で知られる。古くは京都・下賀茂神社に伝来したことが『兼葭堂雑録【けんかどうざつろく】』巻一に記されるが、のちに秋田藩主佐竹家の所有となったことから、佐竹本の名で呼ばれている。
当初佐竹本は、歌仙三六人および住吉明神の一図を上下二巻に分かち、各歌仙の位署と略歴および和歌一首を書き、その左方に歌仙の肖像を描く巻子装【かんすそう】をなしていた。しかし、大正八年(一九一九)に一歌仙ずつに切断されて諸家に分蔵されるに至り、現在そのうち三一図が重要文化財に指定されている。この在原業平像は、端整な風貌と銀泥を用いた装束描写からなる艶【あで】やかな絵姿で、佐竹本の中でも著名な一図である。
従来、佐竹本の絵の作者を似絵の名手藤原信実【ふじわらのぶざね】(一一七六-一二六五年?)、書の筆者を後京極良経【ごきょうごくよしつね】(一一六九-一二〇六年)とする伝承があるが確証はない。本図の作風は、例えば承久三年(一二二一)藤原信実筆の後鳥羽天皇像(国宝、大阪・水無瀬神宮)や、伝信実筆とされる随身庭騎絵巻【ずいじんていきえまき】(国宝、東京・大倉文化財団)などに比べると、これらよりはやや時代の降る特徴がうかがえる。
一方、位署や和歌の書風は、文永十一年(一二七四)の惟康親王の願文が、佐竹本に見える後京極様をさらに推し進めた書風を示すことから、この年を佐竹本の制作年代の下限とする指摘がある。
また、業平像の着衣の形式を見ると、冠の纓袖【えそで】が立ち上がりを見せる点、袍【ほう】の胸部や両袖部をやや誇張的に膨らませて描く点等に、鎌倉時代の装いのあり方が反映されている。そこには、当世風俗を摂り入れつつ古代の歌仙を描こうとする、佐竹本あるいはその祖本の進取性をうかがうことができる。
以上の諸点より、佐竹本の制作時期は鎌倉時代中期と考えられ、歌仙絵諸本中の最古本であるのみでなく、藤原隆信・信実家系を中心とする当時の似絵【にせえ】制作の豊かな具体相を知るうえに、佐竹本はきわめて貴重な意義を有している。