毛理嶋山官軍大勝利之図
もうりしまやまかんぐんだいしょうりのず
版画 木版画 / 明治
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照皇斎国広
- しょうこうさいくにひろ
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慶応4年(明治元年) / 1868年
- 大判錦絵
- 縦37.0、横148.0(cm)
- 6枚続
- 山口県萩市大字堀内355番地
- 萩博物館
鳥羽・伏見戦争に勝った「官軍」(新政府軍)を描く錦絵。「毛理嶋山」の「毛理」は毛利(長州)、「嶋」は島津(薩摩)、「山」は山内(土佐)を指す。前将軍徳川慶喜は慶応4年元旦、薩摩藩が幼い明治天皇を操り、江戸で乱暴を働いたとして「討薩の表」を発した。正月2日、旧幕府軍は大坂城を発し京都を目指す。翌日、薩摩軍の砲声を合図とするかのように鳥羽・伏見の両所で開戦、「官軍」は旧幕府軍を淀まで退却させた。