南禅寺方丈 一棟
南禅寺は弘安年間(一二七八~八八)に亀山上皇が建てた離宮を改めて禅刹としたところであるが、応仁元年(一四六七)兵火のために諸堂がことごとく焼失した。慶長十一年(一六〇六)豊臣秀頼が仏殿を再建したが、さらにつづいて金地院崇伝が大いに再興に力をつくし、慶長十五年(一六一〇)御所の造営があったのを機会に、その旧殿を賜って移建した。これが現在の大方丈である。ただし御所のどの御殿であったかは明らかではなく、清涼殿とする説や女院御所という説があるが、広縁の欄間彫刻、天井、板唐戸などは、清涼殿の形式と一致するところが多い。いずれにしても、現在の大方丈が宮殿建築の姿を最もよく残していることは確かであり、文化史的意義がきわめて深い。
小方丈は大方丈に接続し、寛永年間(一六二四~四四)頃の増築ともいわれるが明らかでない。しかし豪快な手法にみるべき点が多い。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)