歴史資料/書跡・典籍/古文書 絵図・地図 / 江戸
元治元年(1864)7月の禁門の変により焼失した範囲を示す瓦版。このとき、御所・堀川・鴨川・七条通に囲まれた京都の中心地域で焼失した町数は811町とされる。御所は風上にあたるため類焼を免れた。京都の人々は、手の施しようもなく燃え広がる様子から「どんどん焼け」と呼んだという。この戦いで、尊攘派の中心であった久坂玄瑞や入江九一らが落命し、長州藩は御所に発砲したことで朝敵となった。
文久三年八月十九日未明七卿妙法院宸殿ヲ出テ将サニ長州ニ奔ラントスル図
高杉晋作書簡
高杉晋作
高杉晋作・久坂玄瑞詩書扇面張交
高杉晋作、久坂玄瑞