貞応二年(一二二三)に藤原定家が、石清水八幡宮権別当であった田中宗清の依頼を受け、その願文草案を仮名交り文に書いたもので、定家六十二歳の筆蹟を伝えている。立願の趣旨は、宗清(時に三十三歳)が別当補任を祈願し、成就の折に報賽すべき大願の条々を掲げたもので、その内容は当時の石清水八幡宮の実情を伝えて、歴史上にも価値が高い。この願文の真名文草稿は石清水八幡宮文書に現存し、その再治本は群書類従に収められて流布しているが、この仮名草稿本は真名本に基づいて定家が作成した仮名本である。なお、各条ごとにみえる料紙の切継ぎは、宗清が願文の構成を推敲した跡を示したもので、鎌倉時代における願文作成のあり方をも伝えている。