高麗仏画の一類型をなす、いわゆる楊柳観音像のひとつで、善哉童子が善知識を歴参した中の、補陀落山観音を表す。半跏の像容をはじめ、礼拝する善哉童子や、岩と水面に竹などを配した構成においても、図の形式はおおむね通例のとおりである。観音の肉身を金泥塗とするのは類品中少数例に属し、荘厳さを示すが、その他にも著衣や岩など画面全体に金泥を多用し、また種々の文様を細緻に描写して豊かな装飾性を発揮するのは、高麗仏画の特徴をよく表すものである。
本図は、類品中大徳寺の一本に次ぐ大きさを有している。また制作年、及び徐九方という画家名、六精という勧進僧名が明記されるのは他になく、基準作として貴重である。高麗仏画で画家名を記すものは本図の他に三点あげられるが、その冠称として「画工」(知恩院「観経変相図」)・「画手」(親王院「弥勒下生経変相図」)が見られ、また画家名なした単に「工」と称した例もある(上杉神社「阿弥陀三尊像」)。それらに対し、本図の画家には「内班従事」という異種の冠称が付されている。それについては、鏡神社の「楊柳観音像」の銘文を書写した記録(伊能忠敬『測量日記』)に、「画師内班従事金祐文」とあり、その後に「翰画直待詔」や「員外中郎」という官職の数人を列ねていることから、「内班従事」を称するのは宮廷の画家かと思われる。
高野山金剛三昧院伝来。