備前焼は岡山県邑久郡長船町付近にあった古代の須恵器窯を母胎とし、鎌倉時代に入って隣の備前市伊部付近に窯を移した時点で焼き締め陶生産へと転じて以来、現在に至るまでその伝統を守った作陶が行われている。
本作品は、備前焼が焼き締め陶へと転じた後の最古例の完形在銘品であり、肥厚した玉縁、撫肩からややふくらみをもって張る卵形の形姿は、室町時代備前壺の特徴をそなえたもので、堂々とした大作である。
銘文中の「石井原山」とは現在でも千光寺の山号として用いられており、「橋本坊」は千光寺の一塔頭であった。「福安」の年号については該当する年号がないが、私年号の中には永仁を永福、延徳を福徳と吉祥文字に置きかえる例もあったことや、甲子の干支、壺の形式の特徴からして、文安元年(一四四四)のことと考えられる。
寄進先、製作年、作者等が明確な基準資料であり、中世備前焼の歴史を研究する上でも極めて貴重である。