東大寺新禅院(廃絶)に伝来した四天王像で、現在は真言院地蔵堂に安置されている。各像像内に納められていた白檀製五輪塔、金光明経四天王品などの経典類により新禅院聖守【しようしゆ】(一二一五-九一)が蒙古調伏を祈念して弘安三年(一二八〇)夏がら翌四年三月にかけて発願、造像したものと判明した。願文は建治三年(一二七七)に東大寺大勧進に任ぜられた聖守の自筆とみられ、文章中に亀山上皇、後宇多天皇をはじめとする檀越あるいは聖守に縁の深い人々の名が織り込まれている。
広目天は桜材、他は檜材を用いるが、いずれも頭・体部を通して前後矧とし、玉眼【きよくがん】、彩色仕上げとする。四体相互には若干作風の相違がみられるが、衣縁のはためくさまや各部の質感が巧みにとらえられ、衣甲の細部まで入念に刻出されている。納入品には作者の名は見えないが、建治三年(一二七七)に聖守により東大寺大仏師に補任された慶守(運慶の會孫にあたる仏師慶秀と同一人物とみられる)が中心になっての造像と考えられ、この頃の慶派仏師の力量を示す佳作として推賞される。彩色の保存状態のよさも特筆される。
元冦に際しては宮中や主要寺院をはじめ、各地で調伏のための修法等が頻繁に行われたことが記録にみえるが、このとき本尊として新造されたことが明らかな仏像画の遺品は意外に少なく、本像はその一例としても貴重である(図版は一八~一九ページ参照)。