東陽徳輝は、大慧系の晦機元煕【かいきげんき】の法嗣【はつす】で、五山文学上に有名な入元僧中巌円月の師にあたり、「勅修百丈清規」を編修したことでも知られる。
本幅は、徳輝が大龍翔集慶寺【しつきんじ】の開山である法兄の笑隠大〓【しよういんだいきん】(一二七三-一三四四)に送った尺牘で、料紙に蘭図と四周に渦繋ぎ文様の縁(右辺欠損)を配した蝋牋紙を用い、謹厳な楷書体をもって全文一九行にわたって書かれている。本文は、まず昨年来の無沙汰を詫び、人を介して大〓の息災を伝え聞いて安堵していること、遠路のため、侍者をもって書状を差し出す旨を記している。さらに、大〓が集慶寺に入院し、開堂の説法をしたことで、多くの人々が会下【えげ】に参じたであろうと祝辞を述べた上で、高安県の洞山に籍を置く蘭秀谷という僧を紹介し、その履歴と人柄、紹介状を書くに至った事情までを詳細に報じている。内容から両者の親密な関係が知られ、鄭重な文言を用いている点は、法兄である大〓に対する尊敬の念をうかがわせる。
文末に「二月十八日」とみえるが、文意より、集慶寺の殿堂が出来上がって、説法を始めた時を指すものと考えられ、おそらくは天暦から至順年間頃(一三二八-一三三三)の墨蹟と推定される。
東陽徳輝墨蹟は、ほかに静嘉堂文庫所蔵の無夢一清【むむいつせい】に与えた偈一幅が知られるが、本幅は料紙に蝋牋を用いた徳輝の代表的遺墨として、元代の代表的な禅僧間の親密な交流を伝えて中国禅林史上にも注目される。
なお、この墨蹟は、雲州松平家伝来で、不昧【ふまい】が伏見屋を通じて冬木家より百両で購入したものと伝えている。