身は蕪【かぶ】形を呈し、口は大きく甑状【こしき】で丈は低い。表面には浮彫り風に縦縞を加え、無地の器に抑揚を与えている。底面は地付より高く作っているので地付の部は環状となっている。しかも底面と地付との間に、底面に接して一条の突帯を繞【めぐら】してあるので、内側から別個の皿をはめ込んだ形である。蓋は笠状であるが、周縁は幅広くかつ六か所に波形のひだを作り、総体蓮の葉をおもわせる。しかし笠形の部分は放射状の線を身と同様浮彫り風に作り、菊の大輪を伏せたようである。花心に当る所に小さな形ばかりの鈕を付している。蓋裏には表面の笠形に応ずる位置を隆起させているが、身の口縁にかかるものではない。蓋・身とも内・外両面にわたって薄緑の釉薬が厚くかけられている。保存は完好である。元弘三年(一三三三)五月、新田義貞の鎌倉攻めで、高時一門と最期を共にした金沢貞顕の墓と伝える石造五輪塔(横浜市称名寺境内所在)の地輪に骨壺として納置されたもので、わが国中世武将の骨蔵器として重要な資料であり、また中国元代青磁の遺品としても貴重である。