木造毘沙門天立像 もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう

彫刻 / 平安

  • 平安
  • 1躯
  • 重文指定年月日:20040606
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 弘源寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 左手で宝塔を捧げ右手で戟を執る一般的な姿の毘沙門天像である。袖や裳裾が長く、肥満を感じさせる大振りな体躯が興福寺東金堂四天王像(国宝)を想起させるが、腰を極端なほど捻り、袖や裳裾が激しく翻る動的表現において比類を見ない。兜から炎髪が立ち上るのは着衣の翻りに対応する表現で、天部形においてこれが見られるのは九世紀後半からだが、本例はその一古例である。
 頭体幹部は木心を籠めた一材から彫出されるが、下半身に施された内刳りは右方に寄って木心を外れている。膝辺で横に鋸を入れるのは右足を割り取るのにための処置と考えられる。割脚のごく初期の実例として注目される。左足は脛部で鉤形の相欠矧ぎとするのも、興福寺北円堂四天王像(国宝)や教王護国寺食堂四天王像などに類似の接手があり、いずれも本像の技法が古様なことを示している。
 本像は比叡山無動寺【むどうじ】伝来という伝承をもっている。不動明王を本尊とする無動寺の本堂は現在でもその両脇の間にいくつかの施入像を置き、『門葉記【もんようき】』によれば少なくとも中世にはそこに毘沙門天像のあったことが知られる。その後、般舟院、嘉祥寺を経て、永享元年(一四二九)に開かれた弘源寺にもたらされたと伝え、当寺が正保二年(一六四五)天竜寺内に再興されたとき本像も移された。そのころは破損が目立っていたようで、足〓銘によればそれから数年後の慶安四年(一六五一)に修理された。表面の彩色はこの折に施されたものが多くの部分を占めていると推定される。
 大振りで重厚ながら一方では躍動的な表現が異色であり、平安時代彫刻史のなかでも特異な位置を占める作例と考えられる。平安時代も前期に遡るものと推測され、旧安置と伝える無動寺は貞観七年(八六五)創建、元慶六年(八八二)天台別院となっており、伝承を無条件に信じることはできないが、様式的にはそれからあまり大きくくだらないころの造立として妥当である。表面仕上げが後補となるものの木部の状態は良好で後補も少なく、総じて保存状態の良いことも賞される。

木造毘沙門天立像

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