歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 江戸
武雄鍋島家の居城、柄崎城(一国一城令で廃城となる)の三ノ丸に、天保の初め(1830年)頃、御庭焼きの窯が築かれた。昭和36(1961)年の発掘調査では、全長約13m、最大幅5m、5段式の登り窯が確認された。三ノ丸窯では西洋科学の摂取のため、蘭引を始めとする理化学用実験器具も多く焼かれていたが、染付の花瓶・皿など日用雑器も焼成された。このコーヒー碗も三ノ丸焼きと伝えられる。
山水蘭引
蘭引・乳鉢
雪ノ結晶煎茶碗