歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 江戸
アメリカ合衆国のペリーが浦賀に来航したのと同じ嘉永6(1853)年の7月18日、ロシア極東艦隊司令官のプチャーチンが長崎に来航した。これは、長崎警備のため出崎を命じられた武雄の領主が7月20日、佐賀の与賀屋敷(武雄鍋島家屋敷)を出立してから、再び10月28日に佐嘉に帰館するまでの記録である。極め絵詳細な記録から、佐賀藩として、あるいは江戸幕府としての緊張の度合いがわかる。 なお、『旦那様』とは武雄領主をさす。この時期の領主は、第29代鍋島茂昌である。
和蘭七州幟幷近年渡来ノ洋舶徴幟
船関係資料
御目通并公用諸控
鍋島茂真(安房)