三岸好太郎は、亡くなる年の1934(昭和9)年、蝶と貝殻をモチーフに油彩画を描くほか、素描集を発行、詩も発表しており、さまざまな手法で幻想的な世界を表現した。本作品は、蝶や貝殻を描いた素描作品を凸版墨刷し、手彩色を加えて10枚一組で発行したものの中の1点である。彩色には節子も加わり、同じ絵柄でもそれぞれ色が異なる。当時としては斬新なスプリング綴りを採用し、表紙には金属板を使う意向もあったという。100部限定で刊行され、ドイツのバウハウスに学んだ友人の建築家・山脇巌に設計を依頼したアトリエ建設のための資金調達も兼ねていた。しかし好太郎は、夢見たアトリエの完成を実際に見る事はなく、旅先で31歳の若さで急逝した。