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墓守
Keeper of a cemetery
1910(明冶43)年
ブロンズ 高180㎝
bronze
第4回文展(2等賞)
朝倉文夫は、1907年東京美術学校を卒業した翌年、弱冠25歳で第2回文展に初出品し、最高賞を得て以来連続6回も2等賞や3等賞を獲得し続けるという敏腕ぶりを発揮した。〈墓守〉は第4回展で最高の2等賞を受けた作品である。ちなみにこの時、夭折の俊英荻原守衛の代表作〈女〉は3等賞であった。この〈墓守〉は、作者のアトリエ近く、上野谷中の墓地を預かる老人の物思いつつたたずんでいる風姿を、よどみのない自然な写実で表現している。後ろ手を組み少しうつむきかげんな生活感のにじむポーズと、哲人風だが親しみのこもる相貌はなまなましくも巧妙である。自然活写の巧拙が評価の物指しでもあった当時の彫刻界で、この巧みな自然観照と技術の冴えは群を抜いていた。のちに、これは明冶の初めにラグーザから学び継いだ洋風彫塑が到達した日本写実主義彫刻の一頂点を示すものだともいわれた。この作品以来、この作者は自然主義、写実主義表現に不動の確信をもち、解剖学的正確さと抑揚ある造形カの卓抜な技量を発展させ、膨大な数の作品を残した。そして久しい間官展の大御所としての位置にあり、彫刻界に少なからぬ影響を与えたが、その多作によって、作風は後年多分に類型的なものになっていった。