琉球王国の時代,国王の健康や国家安穏の祈願等,国家祭祀の聖域として位置付けられ,国王自らの参拝や,代参が行われた拝所の一つである。弁ヶ嶽(べんがだけ)ともいい,那覇市首里の東端,首里(しゅり)城跡(じょうあと)の東方約1㎞にある標高165.6mの丘陵に所在する。東西に走る道路を境に北側の大嶽(うふたき)と南側の小嶽(こたき)に分かれる。「神仙来賁降遊之霊地(しんせんらいひこうゆうのれいち)」として,国王から民衆に至るまで「泰山北斗」のように仰ぎ尊び,多くの人々が参詣する御嶽とされた。正徳14年(1519)には,後に沖縄戦で大破する石門が建立され(『球(きゅう)陽(よう)』),嘉靖22年(1543)には参道を石敷道に改修し,沿道に松を植える整備が行われた(『国王頌(こくおうしょう)徳(とく)碑(ひ)』)。大嶽の神名は,「玉ノミウヂスデルカワノ御イベヅカサ」,小嶽の神名は「天子(てだこ)」とされる(『琉球(りゅうきゅう)国(こく)由来記(ゆらいき)』)。小嶽には「天子」を拝む御拝所があり,その側には斎場(せいふぁ)御嶽(うたき)の遥拝所も設けられていた。18世紀代には首里城の風水上重要な場所であると認識されて松の植樹が行われ,「冕嶽積翠(べんがくせきすい)」と称される景勝地ともなった。平成25年度には那覇市が記録に残る大嶽の拝殿跡を発掘して石敷遺構を検出する等,遺構が良好に遺存することを確認した。琉球における祭祀の在り方と,その歴史的変遷を理解する上で重要である。