画面下部に描かれている西洋船は、双頭の鷲の旗を掲げている事から、ロシア船とわかります。幕政を指揮していた松平定信は、寛政4年(1792)、ロシア初の公式遣日使節ラクスマンの来航に対応し、穏便に事を収めました。しかし、定信が幕政を退いた後、文化元年(1804)のレザノフ来航と北方での騒乱、同5年のフェートン号事件、文政8年(1825)の異国船打ち払い令と、日本近海の情勢は緊張を増していました。そのような中で定信は「この船が来航することを夢にも忘れぬことは世の宝である」と記し、外国船への警戒を維持するよう訴えています。
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