その他の美術 書 / 昭和以降
明治5(1872)年、明治政府は学制を発布し、長野県では明治6(1873)年以降、学校の創設に力を入れ始める。明治6(1873)年11月、高井郡中野町に研智学校が開校し、高井郡若宮村正翁寺内に支校が設置された。この支校は明治7(1874)年12月に憲徳学校として独立した。その後、明治10(1877)年5月に宮浦地籍(現若宮八幡宮脇)に校舎を新築して移転し、明治19(1886)年4月に間長瀬学校に統合されるまで存続した。当扁額は憲徳学校に掲げられていたものと思われる。
旧中込学校
黒砂分教場の記念碑
旧中込学校校舎