牛久藩大名行列図巻 うしくはんだいみょうぎょうれつずかん

歴史資料/書跡・典籍/古文書 絵図・地図 / 江戸

  • 不明
  • 茨城県
  • 江戸時代末期
  • 紙本 著色 巻子
  • 縦26.9cm・横468.5cm
  • 1巻
  • 茨城県牛久市柏田町1606-1
  • 牛久市指定
    指定年月日:20180326
  • 有形文化財(美術工芸品)

 本資料は、牛久藩主山口家に伝来した大名行列図巻である。藩主の乗物を中心に人物・馬・道具などが描かれ、彩色されている。人物は士分・中小姓・徒・足軽・中間・陸尺など、身分と役割が墨書で注記され、人物の表情や服装も描き分けられ、一人がおおむね約6.5~7.5cmの寸法で描かれている。
 行列内容は、先導する袴姿の案内岡田弥兵衛を先頭に、徒8人、徒部屋頭、槍持、徒目付、徒組頭が進み、藩主の乗物が続く。乗物は陸尺8人が担ぎ、周囲を供頭、刀番、御簾番・中小姓の8人が固める。乗物の後を長柄傘持、草履取、挟箱持、蓑箱持などが続き、その後ろに牽馬、供頭などの若党、挟箱持、合羽籠持が並ぶ。さらに馬にまたがった家老が徒、若党、槍持、長柄傘持、挟箱持などを従えて続き、最後を尾張屋久米助が小差を連れて固め、行列が終わっている。紋所や槍印は『文久武鑑』より、牛久藩山口家のものであると確認できる。
 登場人物は、士分、中小姓、徒、足軽、槍持・中間、家老、家老配下の士分、若党、中間、その他案内、人宿など、総勢86人の大行列である。正装していることから、江戸城に出仕する登城の行列だと考えられる。1万石の山口氏にしては、格式を超えた大規模な行列となっており、かつ後ろから家老が18人の供連れで従っており、特別な登城を描いたものと推測される。
 幼少の大名の出仕には介添えが許されており、家老が付き添うことが一般的であったため、本図巻は幼少で相続した藩主であると考えられる。文久2年(1862)6月に11代山口弘敞が死去し、わずか3歳の嫡子長次郎(弘達)が相続した。『続徳川実紀』文久2年8月6日条によれば、この日長次郎に遺領相続が許されており、長次郎が初めて江戸城に出仕し、将軍徳川家茂にお目見えしている。他に山口家歴代で、幼少で相続したのは、天明7(1787)年12月に7歳で家督相続した8代山口弘致がいるが、本図巻には家臣のなかに服装が白小袖の者がおり、冬の服装としてはふさわしくない。そのため、この図巻は、牛久藩最後の藩主山口弘達が、遺領相続のため江戸城に初出仕する行列を描いたものと考えられ、制作年代は江戸時代末期と推測される。

牛久藩大名行列図巻

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