後藤分銅15個である。分銅とは、天秤でものの重さを計るとき、基準とする錘のことであり、後藤分銅は中央部がくびれた繭形をしているのが特徴である(2)。
大きなもの(写真左上)から「拾両」、「伍両」、「肆(四)両」、「参両」、「弐両」、「壱両」、「五匁」、「四匁」、「三匁」、「二匁」、「一匁」、「五分」、「四分」、「三分」、「二分」である(1両=10匁=100分=37.5g)。
「拾両」から「壱両」の表面には、額面が彫金され、中央には後藤家の家紋「五三桐」(極印(3))の刻印がある。「拾両」から「壱両」の裏面には、中央に「後藤」と点刻されており、周りに家紋がいくつか刻印されている。「後藤」の上には、「極」と「令」の字が、その下には、花押が刻印されている。側面にも、後藤家の家紋がまんべんなく刻印されている。
「五匁」から「一匁」の表面中央には、「令」の字が刻印されている。「五匁」の裏面には、中央に「後藤」と点刻されている。その上に「極」の字が、その下に花押が刻印されている。「四匁」から「一匁」の裏面には、中央に「後」と点刻されている。その上に「極」の字が、その下に花押が刻印されている。
「五分」から「一分」の表面中央には、額面が彫金されている。裏面には、上部に「極」の字が、下部に花押が刻印されている。「五分」のみ裏面中央に、「後」と点刻されており、それ以外は点刻されていない。
寛文5年(1665)に江戸幕府によって、後藤宗家(四郎兵衛家)の極印の無い分銅の製作・使用を禁じられ、以後、後藤家によって製造と販売・取り締まりが行われた(4)。後藤分銅は、1分から200匁≒20両までの17種類を基本の1セット(場合によっては、30両と50両を加えた19種類を基本の1セット)としている(5)。よって本資料は、20両と1分が(19種の場合は30両、50両も)欠損していることがわかる。
付属品の共箱の蓋には、「極新分銅/百目下壱面」(目=匁なので、百目=10両。10両以下の分銅一揃いの意味カ)と墨書されている。側面には、「(寄贈者の高岡源平町・神初家の屋号「ヤママス」)持用」と墨書されている。箱底面には、「文久元酉三月十八日」と墨書されており、本資料を入手した年代とすると、製造年代の下限となる。
資料状態は、細かい傷や黒ずみなどが目立つ。共箱にところどころ虫損がある。
(注)
1. HP「精選版 日本国語大辞典」
2.『絵引日本民具辞典』河出書房新社、2008年、p385
3. HP「日本大百科全書(ニッポニカ)」小学館
4.『広島市郷土資料館資料解説書 第18集 はかる道具-ものさし・枡・秤と尺貫法-』広島市教育委員会、2005年、p10
5.同上書、p42