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『半田ハリストス正教会百年史 知多半島伝道百三十年の記録』によると、1913年1月19日午後1時、豊橋教会の建設にあたっていたモイセイ河村伊蔵が乙川に立ち寄り、イコノスタスを視察、その建築構造についても指示をし、必要なイコンを東京の本会に上申したところ、まもなくイコノスタス用の大イコン、王門の四福音書記者、生神女福音(受胎告知)などのイコン合計12点が届いた。王門とその左右に配されるイコノスタス下段の計12点のイコンについては、様式と判型の一貫性と主題的な整合性から判断して、この時に届けられたものと推定してよい。
また同年2月28日、望月伝教者と執事パウエル三澤氏が連名で、イコノスタスに使用するイコンを送るように東京本会事務所に宛てて願状を出している 。イコノスタス上部のイコンの一部またはすべては、この願い出により送られてきたものと考えられる。これらのイコンについては、様式の観点から複数の由来をそなえるものと推定される。満州大聯のロシア領事館内の小聖堂のイコンが日露戦争後に譲渡されたとも伝えられる が、これらのイコンの一部がそれに該当する可能性がある。