宇治川が峡谷から出て氾濫原低地を形成する地域は,往古より交通の要衝をなし,平安時代に貴顕の別業が数多営まれて以来,優れた名勝地として広く知られてきた。宇治山は,その谷口を巡って峰を連ねる仏(ぶっ)徳(とく)山(さん),朝日山(あさひやま)などを含む丘陵地の総称である。
古来より数多くの秀歌が詠み継がれ,『古今和歌集』(10世紀初頭)に収められ,『小倉百人一首』にも選ばれた喜(き)撰(せん)法師の有名な「わが庵は都のたつみ然(し)かぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」をはじめとして,『新古今和歌集』(13世紀初頭)に収められた藤原公(きん)実(ざね)の「ふもとをば宇治の川霧たちこめて雲居に見ゆる朝日山かな」など,名勝地たる基層を育んできた。14世紀以降には紀行文・地誌等にも数多く取り上げられ,江戸時代後期から近代にかけては,『宇治名所古跡之繪圖』(江戸末期)などに見られるように,北西方から宇治橋を左中ほど手前に,平等院を右下に宇治山を鳥瞰する図郭で紹介されることが広く普及し,名勝地たる宇治の枢要を成した。
そのうち,今般は,宇治川右岸の仏徳山,朝日山,二子山に,興(こう)聖(しょう)寺(じ),宇(う)治(じ)上(がみ)神(じん)社(じゃ),宇(う)治(じ)神(じん)社(じゃ),恵(え)心(しん)院(いん)の境内地などを含む範囲を名勝に指定し保護するものである。