江戸
文化4年(1807)幕府はロシア南下の脅威に備え、会津藩主松平容衆*かたひろ*に蝦夷地警固を命じた。これはその際、備忘のため概要を記した略記書付の写。江戸時代に会津藩の政庁は会津若松城に置かれていたため、藩主=若松城主と認識されていたことがわかる。
城主記
奥州会津辺大合戦
[徳川家康書状写 城留守居被仰付]