起証(請)文之事 きしょうもんのこと

歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 江戸

  • 飯沼周り24ケ村役人148名
  • 江戸時代(18世紀) / 1724
  • 紙・状物
    開発許可状(写)と井沢弥惣兵衛の書簡と共に巻物に仕立てられている。
  • 縦最大25.8cm、横124.8cm
  • 1点
  • 八千代町指定
    指定年月日:20190125
  • 有形文化財(美術工芸品)

 享保の改革の一環で行われた飯沼新田開発は、井沢弥惣兵衛が幕府に出仕して初めて手掛けた新田開発であり、八千代地方のみならず全国に大きな影響を及ぼした。 享保7年(1722)尾崎村の名主左平太が、江戸日本橋で新田開発奨励の高札を見て、幕府に願い出たことから大きく動き出す。同9年5月6日開発の許可が下りる。
 しかし、費用の手当てが手違いで困難になったところ、井沢弥惣兵衛の尽力により、幕府から借用することができた。このことにご恩を感じた飯沼周り24ケ村の村役人148名は、開発に当たって同年12月25日沓掛(現坂東市)の香取神社に集まり、4ケ条にわたる血判の起請文をかわした。起請文の署名部分は、熊野本宮大社発行の熊野午王符(午王宝印)の誓紙が使用されている。この誓紙は重要な起請文の誓紙として使用される。
 この「起証(請)文之事」には、(1)熊野午王符を用い、(2)神前で、(3)血判の起請文をかわした、という三重の誓いが込められている。開発にかける格段の覚悟が分かる貴重な資料である。
 本資料は開発頭取名主を務めた左平太の家である秋葉家に代々伝えられたもので、現在も自宅で保管している。

起証(請)文之事

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