大正の頃、川崎市内に紡績工場が建設され、若い女性を全国から募集した。その中で最も多かったのが沖縄出身者であった。その後、沖縄からこうした女性の親類縁者が移住し、故郷の沖縄民謡、舞踊、三絃(さんげん)等を伝えてきた。それが今日の沖縄芸能のもとである。
沖縄の古典芸能は、古くからの神事舞踊、島々の民俗舞踊及び能や歌舞伎踊を取り入れたとされている。組踊りや古典舞踊の老人踊・女踊・二才踊・若衆踊・雑踊(ぞうおどり)等のほか、民謡音楽等も含まれる。川崎の沖縄芸能はその古典芸能の精神を汲み、荘厳な踊りから軽快な踊りまでバラエティーに富む。楽器は太鼓・三味線・琴・笛等を用いる。組踊は劇的な内容が特徴で、「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」のように、道成寺物語と内容のよく似たものもある。老人踊の「御前風(ごぜんふう)」は祝いの時、最初に踊られる気品の高い踊りである。女踊は「かせかけ」のように、恋人を慕って布を織る女性を表現した艶やかな踊りである。「二才踊」「若衆踊」は若者の踊りであり、雑踊は「谷茶節(たんちゃぶし)」のように、海辺の男達が漁に出て、獲ってきた魚を娘達が売り歩く様を描いた軽快な踊りである。