《長門国萩城図》 ながとのくにはぎじょうず

江戸

  • 江戸時代・19世紀
  • 著色、折仕立
  • 53.8×39.7
  • 1枚

関ヶ原の合戦に敗れた毛利輝元は、中国8か国から周防・長門2か国に減封され、居城の安芸広島城を失ったため、慶長9年(1604)から長門の萩に築城を開始した。天守は5層5階の望楼型で明治7年まで存続した。

《長門国萩城図》

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