江戸
関ヶ原の合戦に敗れた毛利輝元は、中国8か国から周防・長門2か国に減封され、居城の安芸広島城を失ったため、慶長9年(1604)から長門の萩に築城を開始した。天守は5層5階の望楼型で明治7年まで存続した。
長門国細見
萩城跡
慶長国絵図〈控図/周防国、長門国〉