昭和17年(1942)の興行成績掛軸。備考欄の正月に、「戦時下ノ新体制ニ即応シテ三時間半ノ一興行制トナリ正午ヨリ三時半マデ四時ヨリ七時半マデ二部制トナル」とある。昼興行と夜興行で演目を変えていたのを改め、1日2回同じ演目で上演することにした、ということだ。また開演・終演時間を早めたのは灯火管制のためだろう。備考欄の6月には「卅日 敬三殿 谷垣美代子嬢と婚約整ヒ午後二時ヨリ新大阪ホテルニテ芽出度華燭ノ典ヲ挙ゲラル」、8月には、「八日 歌舞伎座三階ホールニテ十時ヨリ敬三様新夫妻ノ披露会挙行」とある。備考欄で五郎の私生活が触れられることは息子の敬三のこと以外になく、五郎が息子のことを気にかけていたことがよくわかる。