木造弥勒仏坐像と木造阿弥陀如来坐像は、ともに千葉胤泰の福寿・息災を願い、住持の龍峰奇才のもとでの制作であること、ほぼ同寸同大であることから、一連の造像と考えることが適当である。本尊の木造地蔵菩薩半跏像とともに過去・現在・未来の三世仏を構成していたと推測されるが、日本中世の三世仏は極めて珍しい。熊本県宇土市如来寺の釈迦・薬師(弥勒)・阿弥陀像(正元二年 1260年頃)が中国禅宗寺院にならって造立された三世仏と推測されており、中国の禅宗とゆかりの深い福井永平寺の本尊も三世仏(南北朝時代)である。木造弥勒仏坐像の墨書銘に「帰依禅宗」と記す本三世仏も中国禅宗寺院にならったものと考えられる。
当寺本尊の木造地蔵菩薩半跏像(佐賀県重要文化財)は、像高87.8㎝で鎌倉時代の制作。体内に墨書銘があり、北嶺(延暦寺)から南都(興福寺)を経て元徳元年(1329)に円明寺に安置されたこと、千葉胤貞と母明意が関与したことが記されている。
元徳元年の胤貞による木造地蔵菩薩半跏像請来時点では天台密教への志向が強かったものの、正平22年頃、子の胤泰の世代には禅宗への関心が深まり、木造弥勒仏坐像と木造阿弥陀如来坐像を加えて三世仏として安置されたと解釈される。