歴史資料/書跡・典籍/古文書 文書・書籍 / 室町 安土・桃山
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後醍醐天皇ほか
- 鳥取県
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室町時代~安土・ 桃山時代 / 1335年~1593年
- 史料は、中世文書7点と、巻物として丁寧に軸装された「伯耆巻」から成る。この内の中世文書6点は1通ごとに広げた状態で薄紙で挟み、「伯耆巻」1巻は薄紙で包んで、紙製の箱に納められている。また、中世文書1点(天正16年8月12日豊臣秀吉朱印状)のみは、別に新たに作製された小型の桐箱に、折りたたんで納められている。
- 1.建武2年(1335)5月28日 後醍醐天皇綸旨(宿紙) 33.0×45.5㎝
2.興国元年(1340)6月21日 後村上天皇綸旨(宿紙) 32.0×51.0㎝
3.正平9年(1354)6月18日 口宣案(宿紙)30.5×41.0㎝
4.天文22年(1553)5月21日 口宣案(宿紙) 32.0×46.5㎝
5.弘治2年(1556)4月14日 口宣案(宿紙) 31.0×41.5㎝
6.天正16年(1588)8月12日 豊臣秀吉朱印状(折紙) 46.5×65.5㎝
7.(文禄2年〈1593〉)6月7日 小早川隆景感状32.0×49.0㎝・32.0×
- 7点
- 鳥取県鳥取市東町2丁目124
- 鳥取県指定
指定年月日:20240119
- 宗教法人 名和神社
- 有形文化財(美術工芸品)
名和神社文書は、名和神社(西伯郡大山町名和)に伝えられた文書である。同社には、名和長年をはじめとする名和氏一族42柱が祀られている。名和神社宮司の名和家は、村上天皇第六子具平親王の流れをくむ村上源氏と伝えられ、伯耆国長田の地頭として土着し、その子長年が同国汗入郡名和に移ったという。長年は、元弘3年(1333)、隠岐脱出後の後醍醐天皇を奉じて各地で戦い、延元元年(1336)6月京都において戦死し、相前後して一族の多くも戦死している。長年の孫の顕興は、1350年代末に肥後国八代荘(熊本県八代市)へ下向して土着し、以後は同国の有力領主層の一角を占めた。永正元年(1504)、名和顕忠は相良氏の攻勢により八代ふる古ふもと麓城を退去し、以後、天正16年(1588)に豊臣秀吉の命により筑前国小早川領内へ移封されるまで、宇土城(熊本県宇土市)を本拠として引き続き肥後国衆として戦乱の時代を生き抜いた。その後の名和氏は、筑後国立花家の配下に属し、柳川藩士として幕末を迎えた。この名和家を経て名和神社に引き継がれた資料である。