市ノ坪の富士講関係資料(木造食行身禄坐像及び造像記ほか関連文書類)
いちのつぼのふじこうかんけいしりょう(もくぞうみろくざぞうおよびぞうぞうきほかかんれんもんじょるい)
民俗 有形民俗文化財 / 江戸 明治
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江戸時代~明治時代
- 木造食行身禄坐像:
品質構造 針葉樹(ヒノキ)。寄木造り。彩色。頭・体部別材製。頭部一材製。内刳りなし。体幹部は両肩以下の体側部を含み左右二材矧ぎ、内刳り。胸部辺の高さに首枘受けを造り出す。両脚部、両袖口(上下二材)、両手首先(一材製)、両袖外端、背面の衣裾下橋、その内側の左右端、裳先及び右足先、以上別材矧ぎ付け。矧ぎ目に紙貼りのうえ胡粉下地彩色。
形状 丁髷を結い、右前に打ち合わせた衣の上から羽織をまとい、下半身には裳を着けて腹前に結び紐を見せる。両手屈臂。胸前で弥勒印を結び、右足を前にはずして安坐する。
造像記ほか関連文書類:紙本墨書、織本、水晶念珠
- 木造食行身禄坐像:像高29.0、頂―顎10.4、耳張6.8、面奥8.0、膝張22.7、袖裾張33.0、膝奥21.2、像奥24.6
造像記:タテ38×ヨコ88、タテ38×ヨコ94.8(2枚からなる)
- 一括
- 個人
- 有形民俗文化財
木造食行身禄坐像:江戸時代後期の製作とみられ、関連文書類のうちの「食行身禄造像記」に奉納のことが見える文化8年(1811)の製作と考えてよい。
造像記:文化8年(1811)に「真行妙忡」が「食行身禄」一体を奉納したことがわかる。また、「一ノ坪、北加瀬、中丸子、井田、清沢、山田、荏田、下田、古市場、矢口、峯、羽根田」の村名とそれぞれの地域の行者名などが列記されている。文化8年の時点で、荏原郡、橘樹郡、都筑郡、久良岐郡とかなり広範囲に信仰圏が形成されていたことも読み取れる。