『Histoire de l'Art du Japon』(日本美術史)

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1900年パリ万国博覧会(1900年4月14日~11月12日)の際、海外に日本美術を紹介するために作られた大型本。全文フランス語で、多数の図版が使用されている。本書の序文に「AVIS AUX LECTEURS」(読者への挨拶)として、パリ万博で日本の事務官長を務めた林忠正が寄稿している(1900年10月パリにて)。
日本では明治20年代から美術史の編纂が試みられていたが、作業が進まずにいた。そんな中、明治30年(1897)に博覧会事務局から帝国博物館(東京国立博物館の前身)に、パリ万博出品のために日本美術史編纂の依頼が寄せられたことから岡倉天心が中心となって執筆が行われ、フランス語に訳された『Histoire de l'art du Japon』(日本美術史)が刊行された。図版は小川一眞がコロタイプで印刷。これはパリのMaurice de Brunoff社から1,000部発行され、200部余りを皇室、国内の重要人物、名家などに配布し、さらに数百部を学者、美術家などに配布した。
パリ万博に出品され、『真美大観』と共に金賞を受賞した。
カバーに破れあり。本文中の薄紙に外れあり。

林 忠正(はやし ただまさ/1853.11.7~1906.4.10)
長年パリで活躍し、西洋と日本との美術文化の交流に寄与した美術商。高岡一番町の蘭方外科医・長崎言定(げんてい)の二男として生まれる。幼名・志藝二(重次)。明治3年(1870)、富山藩大参事・林太仲(たちゅう)の養子となり、林忠正と改名。翌年、藩の貢進生として大学南校(東京大学の前身)へ入学し、理学(哲学)とフランス語を学ぶ。卒業を1ヶ月後に控えた明治11年(1878)1月、東大を退学し、工芸品製作・貿易の国策会社「起立工商会社」に雇われ、パリ万国博覧会の通訳としてフランスに渡る。その後もパリに留まり、のち美術商として活躍。浮世絵などの日本の美術工芸品を大量に輸出し、日本美術研究者や印象派の画家らに多大な影響を与えた一方、日本に印象派の絵画を初めて紹介した。明治19年(1886)には輸出不振に悩む高岡銅器業界に対し『高岡銅工ニ答フル書』を著し、最前線で活躍する忠正ならではの貴重な助言を与えた。同26年(1893)のシカゴ万国博覧会では鈴木長吉に制作を依頼した「十二の鷹」を出品し、大好評を得ている。また、明治33年(1900)のパリ万国博覧会では民間人初の事務官庁に抜擢され、出品計画の過程から指導するなどフランスとの交渉や国内の取りまとめに大きな役割を果たし、フランスからレジオン・ド・ヌール勲章が授与された。明治38年(1905)に帰国したが、翌年病没。享年52。日本に国立西洋美術館の設立を目指して優れた西洋美術品を収集していたが叶わず、そのコレクションは散逸の憂き目を見ることとなった。

<参考>
・木々康子・高頭麻子『美術商・林忠正の軌跡 1853-1906 19世紀末パリと明治日本とに引き裂かれて』藤原書店,令和4年
・東京国立博物館ホームページ「明治時代の日本美術史編纂」2017年(令和8年3月4日アクセス)
・印刷博物館ホームページ コレクション「Historie de l'Art du Japon」(令和8年3月4日アクセス)
・当館常設展ガイドブック『高岡ものがたり-楽しく知ろう!ひらめき・ミュージアム-』令和2年(第4版)など

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