歴史資料/書跡・典籍/古文書
七左衛門家初代景房は、熊本藩細川家に仕えていましたが、島原の乱後の恩賞問題により浪人となり、後に彦根藩井伊家に召し抱えられ、長谷川から本多に改姓したと考えられます。本資料は、熊本藩主細川忠利が、長谷川太郎介に肥後国山鹿郡上内田村・玉名郡下分田村両所において、三百石ずつを与えた領知宛行状の写しです。本資料は、江戸時代後期に彦根藩士の本多七左衛門家から藩に提出された文書類の写しの一つと見られます。
細川忠興・忠利発給文書群
宇和島藩士葛西家文書
細川家文書(九千六百十二通)
慶長九年閏八月二十四日付前田利長知行宛行状(宛所不明)
前田利長