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水墨深林
松林桂月
一幅
紙本塁画
縦一六〇・五 横九四・五
昭和三十六年(一九六一)
東京国立近代美術館
作者寄贈
松林桂月(一八七六−一九六三)は山口県萩町の生まれ。旧姓伊藤、本名篤。はとんど独学で日本画を修めた。文展で受賞を重ねながら南画界の重鎮として活躍。帝国美術院会員、ついで帝国芸術院会員となり、昭和十九年には帝室技芸員となる。戦後は日展の常任理事をつとめ、昭和三十三年に文化勲章を受章した。渡辺華山、椿椿山の画系に連なり花鳥画を得意とした桂月が水墨による南画山水に傾倒するようになったのは晩年のことである。「水墨の法には活墨といふものがある。これに反するものが死墨である。では活墨とは何なものであるかと言ふと、墨に濃淡の調子がはっきりと美しく出ることである」という持論の通り墨の濃淡に色彩や光を暗示させる「活墨」を最期まで追及した。この作品は昭和三十六年の日本南画院に出品された最晩年の大作である。賛に「遠處蔵孤寺、鐘残西日傾、千山皆暮色、萬木巳秋聾、僧望帰雲杳、樵邊落葉行、蕭條無限意、天地托詩情」とある。(古田)