3.資産の内容
a) 歴史
 姫路城の所在する地は古来西日本の交通の要衛にあたることから、16世紀末には後に日本を統一した豊臣秀吉により城が築かれた。その後、1600年に徳川幕府の大名として城主となった池田輝政が、1601年から1609年にかけて古城を廃して新たに城を築造しなおした。現在残されている姫路城の建造物群や二重の濠(内濠・外濠)で囲んで内郭と外郭に分ける所在地域の構成は、ほぼ池田輝政時代のものである(付属資料5-1・6)。当時の建造物は、軍事防御施設である天守や櫓・塀・門と、城の居館から構成されていた。その後1617年に城主となった本多忠政が徳川家康の娘を迎えたため、内郭の西端の一郭だけは改修されている。
 城は、それを中心にして城下町が形成され、城主たる大名は交代したが、270年間、藩の中心として機能した。1868年、幕府が倒れ、新政府によって各地の城郭は破却された。この姫路城も新政府の軍用地(国有地)となり、内郭西端の一郭にあった御殿や外郭の建物(武家屋敷)が除かれ、陸軍師団司令部施設や兵舎が建設された。しかし、天守群等をはじめとする内郭の重要な建造物群は残されることになった(付属資料5-2)。一時は城内の荒廃が著しく、売却の危機もあったが、陸軍大佐であった中村重遠らの努力により保存されることとなった。1919年に制定された史蹟名勝天然記念物保存法により、1929年に史跡に、さらに1929年に制定された国宝保存法により1931年に国宝に指定され、文化財としての保存の道が開かれた。それらは現在の文化財保護法に引き継がれている。この間、第二次世界大戦では幸い空襲にあわず、敗戦による軍隊の廃止に伴い、所在地域の兵舎等の軍用施設が官庁等の公共建築に建て替わったが、城の内郭中心部の指定建造物は今日までよく保存維持されている。
 なお、自然災害については、創建以来、地震で被害を受けたことはなく、台風により指定建造物の一部の屋根瓦や壁等に被害を幾度か受けているが、倒壊にいたるような大規模な被害はない。

付属資料5 古絵図
5-1 城下町絵図(17世紀末期)19世紀作図
5-2 姫路市街図(1931年)