3. 資産の内容

a) 歴史
 3集落は、険しい山岳地帯にある農村で、この地方独特の「合掌造り家屋」を中心とした伝統的な集落景観と周辺の自然環境をよく残している。合掌造り家屋は日本の他のどの地方にも見られない特異な形態を示す貴重な民家であり、それらが群として残る3集落は世界遺産条約第1条に定める文化遺産の種類「記念工作物」「建造物群」「遺跡」のうち「建造物群」に該当している。なお合掌造り家屋の構造と特色は、補論「合掌造り家屋の概要」に詳述している。

i) 地理
 3集落は、白川郷と五箇山地方に所在する。この地方は、日本の代表的な高山の1つである白山(白い山の意味。1年のうち半年以上が雪に覆われ、また、その姿が美しいのでこの名がつけられた。休火山:標高2702m)を中心とする深い山岳地帯であり、しかも、日本有数の豪雪地帯である。1950年代まではこの地域の集落と地域外との交渉は極めて限られ、そのために合掌造り家屋によって特色づけられる独特の文化が形成され、継承されてきた。日本全国に交通網の発達した今日の日本でも、最もアプローチの困難な地域の1つに数えられ、かつては「日本に残された最後の秘境」とまでいわれたこともある。
 この地域の中心には、南の山々にその端を発し日本海へと注ぐ庄川が、1500m前後の山並みを縫い、深い渓谷を刻みながら南北に流れている。山地は全て急峻な地形のため、この地域のほとんどの集落は、庄川流域に形成された狭い段丘面に所在している。荻町、相倉、菅沼の3つの集落もそうした集落である。

ii) 歴史
 白川郷と五箇山地方は、8世紀頃から始まった白山を信仰の対象とする山岳信仰の修験の行場として開かれ、長い間、仏教の一宗派である天台宗教団の影響下にあった。また、人里離れた深い山間の地であることから、12世紀後半の源氏と平家の二大武家勢力の争いによって敗れた平家の落人の伝説が、いまでもこの地域の多くの集落で語り継がれ、信じられている。13世紀中期以降になると、仏教の一宗派である浄土真宗がこの地域に浸透し、各集落に寺や道場(布教所)が設けられた。現在でも、この地域の人々の多くは浄土真宗の信仰に篤く、寺や道場を中心として行われる各種の宗教行事は伝統に則って行われていて、地域社会の強い精神的結びつきの拠り所となっている。
 「白川郷」の地域名が文献で初めて確認されるのは12世紀中期であり、「荻町」の集落名は15世紀後期、「五箇山」は16世紀初頭、「相倉」は16世紀中期、「菅沼」は17世紀前期であり、これ以前にそれぞれの集落が成立していたことがわかる。
 白川郷は江戸時代の初めは高山藩領であったが、17世紀末以降、明治維新に至るまで江戸幕府の直轄領であった。五箇山は江戸時代を通じて金沢藩(加賀藩)領であった。明治時代になると、白川郷の41集落のうちの23集落が岐阜県白川村に属することになり、荻町集落も白川村の一部となった。また、五箇山の70集落のうちの25集落が富山県平村、19集落が上平村に属して、相倉、菅沼の各集落もそれぞれの村の一部となり、近代的な行政組織に組み込まれて現在に至っている。


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