5. 世界遺産一覧表登載への価値の証明

a) 世界遺産価値基準に適合する根拠及び他の同種遺産との比較

 世界遺産条約は、世界遺産一覧表に記載される文化遺産について、「歴史上、芸術上、民族学上または人類学上顕著な普遍的価値を有するもの」であることを求めている(条約第1条)。この「顕著な普遍的価値」の審査のために、世界遺産条約の履行のための作業指針(以下「作業指針」という)は、後述する6つの価値基準を定め、その1つ以上を満足すると同時に、真正性(authenticity)に関する審査にも適合しなければならないとしている(作業指針第24条)。

 日本は世界のなかでも、木造建築の文化が発達した最も重要な国の1つである。天皇の宮殿や貴族の住宅、仏教や神道などの宗教建築をはじめ、武士の時代の軍事施設であった城郭までも木でつくられていた。そして、それらの長い歴史のなかで、それそれの分野で、形態、意匠、構造、部材の仕口・継手や加工の技術、塗装の手段などが発達し、変化に富んだ建築の数々を生みだし、歴史上に残してきた。
 同様に日本では、民衆の住居である民家とその附属屋も、極めて限られた例外を除き、ほとんど全てが木でつくられていた。民家は主に都市の商家と農村や漁村の住居に分類されるが、今回、記載された遺産は、農村集落とその住居群である。日本の農村の住居は、平入り、平屋建、真壁の土壁、茅葺き、寄棟屋根が主流である。しかし、妻入り、大壁、板壁、板葺き、入母屋または切妻屋根の民家もあり、これらの組み合わせによって、日本の各地に地方色豊かな民家建築が生まれた。これらの多様でそれぞれに完成度が高い民家建築は、日本が普遍的価値を持つ世界の遺産として提示できるものの1つである。
 ところで、日本の農村の住居の形態は多様であるが、全体として見た場合、あるイメージのなかに集約される。すなわち、規模はあまり大きくなく、棟の高さも低く、屋根も傾斜がそれほど急ではなく(ほとんどの場合、勾配は45度以下)、地に伏せるような形で、自然に対峙せず、自然に融合するような姿である。これに対して、世界遺産である白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋は、補論の「合掌造り家屋の概要」で説明されるように、日本のどの地方にも見られない極めて特異な形態であり、また、日本で最も発達した合理的な民家の1つの形態であるといえる。もう一度、そのことをまとめると下記のような諸点となる。

1)他の地方の農家に比べて規模が大きく、屋根は勾配が60度近くもある急傾斜の茅葺きの切妻屋根であり、自然に対抗するようなイメージの外観を呈する。
2)日本の一般的な民家では、小屋内は全く利用しないか、あるいは利用したとしても藁や茅などの資材をストックするといった消極的な利用であるが、合掌造り家屋では、小屋内を2〜4層として、養蚕の作業場や桑の葉の収納場所などとして積極的に利用している。急勾配の屋根や叉首構造の採用も小屋内の空間を大きく取るためのものであり、また、切妻屋根としたことも、妻に開口部を設けて小屋内に風と光を確保するためである。これらのことは日本の中では極めて異例である。
3)叉首構造で切妻とし、急勾配としたことからくる構造上の弱点を屋根野地面に筋違いを入れて野地を一体化することによって補強している。この工夫も、他の地域では決して見ることのない技術である。

 ドイツの著名な建築家であるブルーノ・タウトは、1933年から36年まで日本に滞在し、その間、各地の建築を精力的に見て歩き、日本の建築についての多くの著作を著している。その彼が合掌造り家屋を見て、「これらの家屋は、その構造が合理的であり、論理的であるという点においては、日本全国まったく独特の存在である」(国際文化振興会の依頼により1935年に行われた講演「日本建築の基礎」、『日本美の再発見〔増補改訳版〕』岩波新書・1985年所収の篠田英雄訳による)と驚嘆していることは、この様式の家屋がいかに日本の中では他の地域で見られない顕著な特色を持っていたかの証拠となる。
 さらに合掌造り家屋とその集落は、下記の点においても顕著な価値を持ち、また、その保存においては特段の配慮をしなければならないものである。

1)白川郷と五箇山地方は日本の中部山岳地帯の急傾斜の山と谷に囲まれた、非常にアクセスしにくい地域であり、1950年代まではこの地域と外との交渉は極めて限られたものであり、かつては「日本に残された最後の秘境」と称されたほどである。
2)こうした理由から、この地域を流れる一本の川、庄川によって結ばれた白川郷と五箇山地方には、浄土真宗という同一の信仰による精神的絆を基礎とした社会制度や生活習慣において、たいへんユニークな文化圏が形成された。そのユニークな文化の最も顕著な事象が「合掌造り」と呼ばれる規模の大きな切妻造り茅葺き屋根の民家と、これらの群によって構成される特異な農村景観である。
3)合掌造り家屋は白川郷と五箇山地方に限定して見られる民家形態で、しかも、その最も多く存在していた時期である19世紀末においても、総数約1,850棟という極めて少数にすぎなかった。これは当時の日本の農家の戸数が約550万戸であり、それとの割合(0.03%)でいえば、極めて希少な存在であった。
4)極めて少数ではあるが、しかし、豊かな地方性を示していたこの地域の合掌造り家屋とその集落は、太平洋戦争後の日本の急激な経済発展による社会情勢の変化によって急激に減少し、白川郷と五箇山地方の合掌造り家屋とその集落は、壊滅的な状況となっている。
5)こうした状況の中にあって、合掌造り家屋がまとまって残り、かっての集落景観を保持しているのは、法律によってその保護の措置がとられているこの3つの集落のみである。

 以上のことから、この遺産は「作業指針」24条a項に規定される文化遺産の価値基準のIVおよびVに該当する「顕著な普遍的価値」を有することが証明される。

IV) 人類の歴史上の有意義なステージを例証する、ある形態の建造物、建築物の秩序ある集合、または景観の顕著な例であるもの
V) ある文化を代表するような伝統的集落または土地利用の顕著な例であり、特に元に戻ることができないような変化の衝撃によって、すでに価値を損ねやすい状況に至っているもの

 またこの遺産は、地理的に分散して所在する3集落が単一の遺産として世界遺産一覧表に記載されたものであるが、このような事例に対して「作業指針」第19条では、各々の遺産が文化史上同一のグルーブに属すると同時に(文化遺産の場合)、文化遺産、自然遺産とも個々の遺産の価値を評価するのではなく、シリーズで取り上げることではじめて世界遺産としての顕著な普遍的価値が生じるものであることを条件としている。
 この規定に対し、荻町、相倉、菅沼の3集落は、以下の理由からその条件を満たしていると証明できる。

1)荻町、相倉、菅沼の3集落は、ほとんど消滅してしまった合掌造り集落のなかで、かっての集落景観を残すわずかな集落の全部であること。
2)3つの集落を一連のものとして保存することにより、このような集落が、ある地域的な広がりを持った文化圏を形成していたことを示す証拠となること。
3)3つの集落はそれぞれ、規模の大きな集落、中規模の集落、小規模の集落の好例であり、集落の規模の大小の多様性があったことを示す証拠となること。
4)同じ合掌造りの家屋においても、白川郷の家屋は平入りであるのに対して五箇山は妻入りであり、妻に庇をつける五箇山に対して白川郷はつけない。あるいは妻の小屋部壁面に傾斜をつける白川郷に対し、つけない五箇山、屋内に土間のある五箇山に対して、ほとんど土間を取らない白川郷など、地域による相違があり、白川郷と五箇山の合掌造り家屋を保存することは、狭い同一の文化圏内においても、地域により差異があったことの証拠となること。また、附属屋にハサ小屋が多い荻町と、ハサ小屋はなく、土蔵の存在が目立つ相倉と菅沼では、集落の景観に差異があること。


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