大山祇神社の神門の回廊に安置されていた四体一具の俗体神像である。倚像・立像各二体により構成され、ほぼ同一の形相、装束で、いずれも両手に弓箭を執る姿に表されている。
各像は檜材の寄木造で、頭部を大略前後三材、体幹部を前後三層左右三材から造り、頭体共に内刳りを施す。両眼は玉眼(ガラス製、後補)が当てられていたが、近年の解体修理の際に取り除き、木片を当てて彫眼としている。
二体の像内にそれぞれ元亨二年(一三二二)および同三年の年紀と、大願主越智盛房、大仏師美作法橋宗盛等の人名が記されており、本一具が元亨二年正月の同社焼失後の復興期に造られたことが知られる。また三体に「守門神御躰南方天」「西方天」「北方毘沙門天王」という銘記があることから、各像が四天王に擬せられて造像されたことが判明し、造像の背景に仏教色が色濃くうかがえるのが興味深い。
作者の宗盛について他に知られるところはないが、壮年の凜々しい顔立ちや大振りの体躯にみられる簡略で力強い造形は、門を守護する武神としてふさわしく、手慣れた木寄せの技法とともに、大仏師としての技量を認めることができる。
四体一具の守門神は珍しく、年代・作者ともに明らかな当代の神像の基準作例として、また神仏習合の思想から産み出された稀有な造形遺品として重要である。