阿蘭陀風説書は、毎年、長崎に入港するオランダ船が、長崎奉行所を通じ江戸幕府に提出した和文訳のことで、その翻訳にはオランダ通詞<つうじ>が当たった。
唐船風説書とともに、鎖国時代における海外知識を迅速に知る上での重要な情報源であり、広く一般の海外情報を箇条書の形式で書き上げて提出された。寛永18年(1641)以降は、毎年の提出が義務づけられ、幕末期の安政6年(1859)7月まで継続した。
この江戸博本の形状は、台紙装<だいしそう>で料紙には4紙継ぎの楮紙<ちょし>を用い、「風説書」の内題に続いて箇条書の形式にて六箇条を書き上げている。本文末には「かひたん/げいすべるとへんみい」とあって、当時の商館長ゲイスベルト・ヘンミー(Gijsbert Hemmij 在任期間=1792年11月13日~1798年7月8日)の自署を据えている。奥書に「巳/六月廿八日」とみえ、通詞目付・三嶋五郎助、通詞・加福安次郎、石橋助左衛門、中山作三郎ほか、都合九名の署名・捺印があり、本文中には加筆・訂正等の跡はなく、提出原本としての体裁を伝えている。
その内容の中心は、第三および第四箇条に収められ、フランスに内乱が勃発したこと、オランダはイギリス軍の攻撃を被り、ベンガルやコロマンデル海岸の商館が横領されたこと、ロシアは女帝・エカテリーナ二世が逝去してトルコと交戦するなど、ヨーロッパ諸国は戦争状態になっていること、商館長の交代期年であるが航路中の敵船防御などの理由から新館長は派遣しないこと、など当時の新情報が要約して記載されている。
この阿蘭陀風説書は、商館長ヘンミーの自署、奥書等の記載内容等を勘案するに寛政9年(1797)6月28日付であることが判明する。
なお、先述の事情等により、この年の来航船はオランダ船ではなく、実際はバタビア総督府が雇い入れたアメリカ船であった。
伝来の経緯については、収納箱の貼り紙によれば江戸時代後期の北方探検家であるとともに、紅葉山文庫<もみじやまぶんこ>の書籍類を渉猟し『外蕃通書<がいばんつうしょ>』『右文故事<うぶんこじ>』等の著述で知られ書物奉行を歴任した近藤重蔵<じゅうぞう>(1771~1829)の旧蔵とされ、重蔵の末裔にあたる永澤家を経て今日に至ったものである。
阿蘭陀風説書の写本は、長崎県立図書館等の他、各所に多数保管されているが、原本として確認されるのはこの江戸博本が唯一のものであり、鎖国時における日蘭交渉史、および近世対外交渉史研究上等に貴重である。