顕証寺は、浄土真宗本願寺派で「久宝寺御坊」とも称する。蓮如上人(本願寺第8世)が明応年間(1492~1500)に「西証寺」として建立したが、天文の畿内一向一揆(1532~1535)によって焼失した。その後蓮淳(蓮如の第13子)によって再建され、顕証寺と改められたと伝えられる。現在の伽藍は、東向きに建つ本堂とその西側に庫裏があり、外郭施設として表門、築地塀、長屋、長屋門、渡廊(いずれも市指定文化財)がある。享和元年(1801)刊行の「河内名所図会」と比較すると、対面所、書院、太鼓楼、含月亭などは失われているが、その他の建物は当時の状態をよく保っている。今回指定した本堂は、宝永4年(1707)の大地震で倒壊した後に再建されたもので、宝永7年(1710)に建築が始まり、正徳6年(1716)に棟上げされたものである。