平削盤〈/明治十二年、工部省赤羽工作分局製〉 ひらけずりばん〈/めいじじゅうにねん、こうぶしょうあかばねこうさくぶんきょくせい〉

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 明治

  • 愛知県
  • 明治 / 1879
  • 1台
  • 博物館明治村 愛知県犬山市内山1
  • 重文指定年月日:20010622
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 岩手県
  • 国宝・重要文化財(美術品)

平削盤(Planing Machine)は、加工対象となる工作物を往復するテーブル上に固定し、垂直および水平方向に送り機構を持つ刃物ユニットに取り付けた刃物(バイト)によって平面切削する工作機械である。
 本機は、明治十二年(一八七九)に、工部省赤羽工作分局【こうぶしょうあかばねこうさくぶんきょく】で製造されたことが、ベッドに鋳込まれた陽刻銘【ようこくめい】によって知られ、トップビームに三箇の菊花紋章【きっかもんしょう】がついている。
 平削盤は、一九世紀初頭に欧米で考案された工作機械である。全ての工作機械の精度は平面の精度に依存しているため、より大きく精度の高い工作物の加工を可能にしたこの機械の登場は機械工業の発展の画期となった。これにより自動織機や鉄鋼船の鉄板、蒸気機関の加工等が容易となった。
 わが国への導入は、安政四年(一八五七)の長崎製鉄所建設に伴ってオランダから輸入されたものが初見である。明治維新後、工業化を急務とした明治政府は、明治三年(一八七〇)、工部省を設立した。本機銘板にある工部省赤羽工作分局は、明治四年十二月に東京赤羽(現在の東京都港区)の旧久留米藩邸跡に佐賀藩が献納した機械類を利用する工部省管下の製鉄寮として発足した。数次の制度的変遷を経て、明治十年に赤羽工作分局と改称され、このころには工場としての設備も整い、官民の需要に応じて機械を製造した。
 そのような中で、明治十二年、岩手県は盛岡市の北上川支流中津川に船舶修理所を建設する計画をたて、平削盤、旋盤、ボイラー等の製作を工部省に発注した。本平削盤は、まさにこのときに製造された国産の工作機械である。なお船舶修理所は県営工場として発足して、明治十四年には民間工場へと変わったが、本機はその後も稼働し続けた。
 さて赤羽工作局は、明治七年から十四年まで、工部大学校【こうぶだいがっこう】教師ダイアー(Henry Dyer)の監督のもと、工部大学校の実習場としてあり、ここからはその後の日本の機械工業を担う指導者たちが育っていった。また、ここで製造された数百台の機械類は、価格が高く性能面で欧米製のものに及ばなかったものの、その製造過程で得られた知識や経験はその後の日本の機械工業発達の貴重な財産となった。
 なお、本機は、明治三十四年、岩手県立実業学校に引き継がれ同校の実習機として使用された後、昭和四十四年(一九六九)、財団法人博物館明治村に寄託され現在に至っている。
 このように、本機は、日本の機械工業の黎明期の実状を伝える国産工作機械として、わが国工業発達史上に貴重である。

平削盤〈/明治十二年、工部省赤羽工作分局製〉

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