向かって右隻は虞舜図、陶淵明図、紅蓼白鷺図、林和靖図、芙蓉鶉図、茶花双禽図、向かって左隻は榴花禽蝶図、布袋図、桃花珍禽図、霊照女図、梅花鳩図を各扇に一図ずつ貼り(一図欠けている)、各図の上方にそれぞれに対する七言絶句の賛を貼っている。図には「等春」白文方印があり、賛には「宜竹」、「景徐」、「周麟」などと署名し、「景徐」朱文鼎印(「梅花鳩図」の賛のみは「周麟」白文方印も)を押す。
賛者の景徐周麟(一四四〇-一五一八)は、五山文学を代表する著名な臨済僧。その語録詩文集『翰林葫蘆集』は、これらの題詩十二首を収めて、左京兆の求めに応じて作ったと記している。左京兆とは中国地方の大名、大内義興(一四七七-一五二八)を指す。また、『翰林葫蘆集』の詩文は、およそ制作年代順に配列されているので、本図の賛は、永正九年(一五一二)から十年ころに作られたと推定される。
等春の伝記は詳らかでない。長谷川等伯(一五三九-一六一〇)の『等伯画説』によれば、奈良の大工の子で、出家して雪舟(一四二〇-一五〇六)に師事し、讃岐・阿波の細川成之の扶持を受けたほか、加賀と能登の守護大名のもとに滞在したという。等伯と実際の師弟関係があったかどうかは疑問であるが、雪舟の弟子として等伯の出現を準備する働きをしたことは事実であろう。
十一図のうち人物図には雪舟風はさほど顕著でないが、花鳥図は雪舟の画風を学びながら、鳥の止まる枝を激しく屈曲させて等春の特色を出した構図を作っている。雪舟系花鳥図の展開を示して興味深い。
本図は、花鳥図と人物図がまとまった等春の代表作であり、等春の活躍した地域・年代、等春をめぐる人間関係を示唆する資料でもある。また、屏風絵の新しい形である中世の貼交屏風の例としても貴重である。