後水尾天皇の中宮、明正天皇の母、父は徳川秀忠、母は浅井長政娘(江)。東福門院は徳川幕府の政策による入内で、皇室の外戚となった幕府は結果として宮廷に干渉することになると共に、修学院離宮や桂離宮造営など文化的な貢献に意を用いたわけである。
この色紙は、雁行様と呼ぶ散らし書きの型通りに恋歌を二段に分けて書き連ね、上段を筆太く、下段は連綿体に続けた技巧を見せている。東福門院自筆の確証はないが、むしろ散らし書きの範例かと思われる。
(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)