あるペシミストの手記 A(作品第6番)

絵画 油彩画

  • 神原泰  (1898-1997)
  • カンバラ、タイ
  • 大正12年 / 1923
  • 油彩・キャンバス・額・1面
  • 60.6×50.0
  • 1回アクション展 東京、日本橋三越 1923

神原泰(1898−)
KAMBARA,Tai

61
あるペシミストの手記A(作品第6番)
Notesofa Pessimist A(No.6)
1923年
油彩・キャンバス
60.6×50.Ocm
第1回アクション展(日本橋三越)

62
あるペシミストの手記B(作品第11番)
Notesofa Pessimist B(No.11)
1923年
油彩・キャンバス
60.6×50.Ocm
第1回アクション展(日本橋三越)

仙台市に生まれ,生後すぐ東京に移る。前衛詩人として出発し,1917年『新潮』などに「後期立体詩」数篇を発表。また同年二科展に初出品した≪麗しき市街,おゝ複雑よいらだちよ≫は日本の先駆的な抽象画である。中央大学を卒業後,東京外国語学校でイタリア語を学び,イタリア未来派の研究や紹介に尽力。21年に初個展を開催,また「第1回神原泰宣言書」を発表。以後「アクション」(22−24年),「三科造型美術協会」(24−25年),「造型」(25−27年)と前衛美術運動の離合集散の繰り返しのなかで,画家また理論的指導者の一人として会を率いた。25年には三科展に《スクリアビンの「エクスタシーの詩」に題す≫(1922年)ほかを発表。「造型」以後は絵画作品の発表は中止していたが,『詩と詩論』(28年)や『詩・現実』(30年)の創刊に参加するなど,広く詩作や美術・文芸批評などに健筆をふるった。72,86,94年には個展を開催。≪あるペシミストの手記≫連作は小品ながら日本の最初期の抽象作品の試みの貴重な作例である。


あるペシミストの手記 A(作品第6番)

ページトップへ