犬追物は、走る犬を馬上から蟇目の矢で射て射技の優劣を競う武芸で、笠懸・鏑流馬と並んで騎射三物と称され、鎌倉時代以降武士社会に広く流行した。安土桃山時代以降、戦術の変化に伴って犬追物は廃れ、江戸時代には小笠原家と島津家などごく限られた家が伝承するのみとなった。なお、騎射には犬射蟇目という先端が丸くなった鏑矢が用いられ、犬を過度に傷つけないよう配慮がなされた。
本資料は、島津家に伝来した典籍、文書・記録、絵画などからなる典籍・文書類、装束、弓具、馬具などからなる装束・弓馬具類及び写真ガラス原板から構成される。
典籍・文書類では、島津家の弓馬故実師範川上義久(1438~1521)の自筆本で、寛正4年(1463)10月28日の書写奥書を持つ「右大将頼朝之御時之犬追物次第」があり、室町時代中期以降に島津家において犬追物に係る故実の整備が進展したことがわかる。「鎌倉流犬追物并弓馬記録入壱番箱之入付帳」(元禄13年(1700)作成)は江戸時代中期に島津家や川上家を始めとする家臣家伝来の資料が薩摩藩記録所で管理されていたことを明らかにし、本資料が島津家に伝来した過程を窺わせる。絵画では江戸時代前期の成立とみられる「〔桜田御屋敷射手立〕」・「〔王子原射手立〕」・「〔犬追場之図絵〕」の三幅、狩野芳崖(1828~88)筆「〔犬追物図〕」がある。
装束・弓馬具類では射手の装束、重藤の弓1張、犬射蟇目3組などがある。
写真ガラス原板はすべてコロジオン湿板で、双眼写真機で2コマ連続撮影したものを含み、犬追物の写真として極めて稀有なものである。
本資料は、わが国において犬追物張行の実際や故実の形成・展開を知るうえで、質量ともに最も豊富であり、かつ中断をはさみながらも大名家において犬追物が実践され続けてきた経緯を反映した資料群として類例がない。故実を伝承してきた家に伝来する点も貴重である。典籍、文書・記録、絵画などの史資料にとどまらず、来歴が明確な装束類・弓馬具類、写真を伴い、武芸である犬追物に係る一括資料として学術的な価値が高い。