梅山聞本の師、太源宗真および、その師、峨山韶碩ら三僧の頂相である。峨山和尚は総持寺の二世、太源和尚は三世で、梅山聞本は二人を龍澤寺の勧請開山としている。賛はいずれも龍澤寺六十四世住職、華覚契琢の手になり、天文十六年(1547)八月に書かれている。同僧は同十四年に三祖の木像を安置したと『前住帳』に記されているが、画像については記載がない。
なお、本像には「婆子売之御影」という伝承がある。伝承では開山が婆子より買い取ったことになっているが、本像ははるか後年の作なのでそれを信じるわけにはゆかない。本像が製作された天文年間は当寺の復興が著しかった時期にあたる。その後、天正三年(1575)に織田信長勢の侵攻により一山が焼失している。そういった戦乱の折に什宝が散逸したものと思われ、それを買い戻したという事情がこうした伝承を生んだのではないかと思われる。