絹本著色阿弥陀如来像 けんぽんちゃくしょくあみだにょらいぞう

絵画 / 

  • 南宋
  • 絹本著色 掛幅装 画絹一副一鋪
  • 縦111.3センチ 横63.3センチ
  • 1幅
  • 重文指定年月日:
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 宗教法人金蓮寺
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 ほのかに白く光る頭光を負い、正面を向いて踏割蓮華座上に直立する阿弥陀如来を描く。画面には静謐で幻想的な雰囲気が巧みに描出され、微妙な暈しを用いた繊細な賦彩と淡墨を駆使した確かな線描にも筆者の優れた技術を看取できる。落ち着いた色調や重量感のある阿弥陀の体軀から、北宋末の様式を伝えた南宋初期の作例とみられ、我が国に伝来する南宋仏画の中でも屈指の古作と言える。
 裏面には定山祖禅(臨済宗聖一派僧)による延文四年(一三五九)正月付の書付(写)があり、「喩法師」すなわち思浄(俗姓喩氏、一〇六六~一一三七)の作と伝える。思浄は杭州の妙行寺(接待寺)で飯僧数百万を数えたと伝える浄土教の行者である。阿弥陀の画像をよくし、これを描く際には観想に入り、心中に阿弥陀の光明を見たのちに下筆したと伝える。現在、思浄の真筆は知られておらず、古くより思浄筆と伝承され、阿弥陀が観想によって幻出したような表現を有する本像の存在は貴重である。
 本像は、左手は胸前に掲げ、掌を上にして第一・三指を捻じ、右手は垂下し、掌を前に向けて第一・三指を捻じる、いわゆる「逆手来迎印」の阿弥陀像である。この印相の阿弥陀像は、宋代天台浄土教学の中心地・明州(寧波)とその周辺で流行し、東アジアに広く伝播した。我が国にも少なくない作例が知られ、その文化的背景も美術史学上、大いに注目されてきた。本像は、慶政(九条家出身、建保五年(一二一七)渡宋、翌年帰国)が宋国で入手したものと裏書に伝え、我が国における逆手来迎印阿弥陀像の展開を考えるうえで重要な位置を占めている。
 裏書にはさらに、本像は慶政の後、慶政の大甥で弟子でもあった法性寺(九条家氏寺)一音院の済助、済助の甥で熱心な念仏信者であった九条忠教、忠教の弟の弟子である二尊院の定空を経て、九条家を大檀越とする東福寺の定山に相伝され、定山が四条道場金蓮寺二世の浄阿に譲渡したと伝える。我が国に伝来する宋代仏画のうち、入手の経緯やその後の相承の具体を伝えるものは少なく、この裏書は我が国の対外交流史や仏教史、美術史を語る上できわめて得難い情報を含む。
 以上のように本像は、渡来品のなかでも文化史的に特に意義のあるものとして高く評価されるものである。

絹本著色阿弥陀如来像

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