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山河 一面
福田豊四郎
紙本署色
一八二二一×二二九・〇
昭和二十六年 (一九五一)
東京国立近代美術館
福田豊四郎 (一九〇四〜一九七〇)は鹿子木孟郎、川端龍子、土田麦僊らに師事し、この間帝展、国画創作協会展等に出品した。国画創作協会日本画部の解散を機に上京して龍子の青龍展に出品、青龍社社人となる。一方官展にも出品を続け、青龍社が反官展を表明したのを機に青龍社を脱退。戦後は創造美術の結成に参加、創造美術が新制作派協会に合流した後は同展で活躍した。
常に日本画の革新を図る活動を展開した豊四郎は、マティスやピカソなどにも大きな啓発を受けた。ごつごつとした力強い線や光に還元された色彩など、新しい画風を模索し、日本画の枠を越えて研究を重ねた結果の意欲作である。「何か悠久なものが表せたらと思った。それと高いところから俯瞰したようなものが描きたかった。」と言う作者は、朝の光を受けて山々の稜線が金色に輝く風景を、高い視点から主観的に描いている。枯れ枝にとまる鷹は画家自身であろうか。