江戸
徳川秀忠の五女和子は後水尾天皇の中宮(のち東福門院)となり、明正天皇をもうけた。寛永3年(1626)9月、後水尾天皇の二条城行幸の際、大御所秀忠、将軍家光が30万の大群を率いて上洛し、天下人としての力を世に知らしめたときの記録。
中納言局(東福門院女官)筆 消息
中納言局(東福門院女官)
和歌色紙 「野も山も」
伝 東福門院(徳川 和子)
洛中洛外図
筆者不詳